でこぼこよみもの

人生、山ばかりでも谷ばかりでもなく…という、とある夫婦の話

「愛とは何か」と尋ねられた時、どのように説明しますか?

みなさんは「愛とは何か」と尋ねられたら、どのように説明しますか?

 

また、もしも

目で見ることができず

耳で聴くこともできず

言葉を言い表すことができない

障害を持っている人に説明するとしたら・・・・・

 

「愛とは何か」と尋ねられて、どのように説明してあげますか?

 

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突然、質問攻めのようになってしまいましたね。

 

読書好きの方も多いため既に読んだことがある方もいらっしゃると思いますが、わたしは今、ヘレン・ケラーの「わたしの生涯」という本を読んでいます。

 

連日流れている新型コロナウィルスのニュースの手話を見ていて、三重苦の障害を持ったヘレン・ケラーのことを思い出しました。

 

「ヘレン・ケラーはどのようにコミュニケーションをとったのだろうか。」

「意味情報ではなく感情のコミュニケーションをどのようにとりあったのだろうか」

ということについて知りたくなったためです。

 

子どもの頃に、学校の図書室で伝記を読んだ記憶がありますが、恥ずかしながら本当に有名な「井戸端の奇跡」エピソードの部分しか覚えていませんでした。

 

まずサイトで検索して記事を読み、ますます実際に本を読みたい衝動に駆られました。 

 

ヘレン・ケラーは、ある記者から「重い障害があるのに、なぜそんなに楽しそうにしていられるのか?」と尋ねられた時、「私は神様の贈り物のうち2つを失っただけです。その2つを除いていろいろな贈り物をいただいています。そのうちの一番大きなものは”心”です。」と答えていました。

 

また、指文字はジェスチャーのようなものではなく、森羅万象を理解するための何ものかであると天啓のように悟り、「言葉の神秘があらわに示された。」と述べられています。

 

このサイトのWebライターさんも語っておられましたが、私も同じようにヘレンのことを「私たちよりも幾倍も豊かで実りある生涯を過ごされた人だ」と感じました。

 

そして、「この悟りは大きい。これがあれば孤独になっても幸せに生きていけるのではないか」とも考えました。

 

 

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私はブログを始めてから半年が経ちます。

開始当初より、拙い文章で読者の方々にはご面倒もおかけしていることと思いますが、いつもあたたかくおつきあいいただき本当にありがとうございます。

 

以前、自分の文章表現の拙さから、視覚障害をお持ちの方に自分の記事を朗読してあげた時に、簡単に伝わるような文章を書こうという自分だけの目標を掲げて記事を作成していたことがあります。

 

そして、文章の中でできるだけ顔文字を使わずに感情を表現できるようになりたいとも考えていたのですが、今もあまり上達はしていません。

 

それは、私が自分自身の水やりを怠り、自分の思いを伝える表現能力を身につけてこなかったためです。

 

ヘレン・ケラーの「わたしの生涯」を読んで、また久しぶりに泣きました。泣くというより号泣に近かったです。

今の私にとっては紛れもなく、どんな参考書や自己啓発本、宗教関連などの本を読むよりもとても深い世界を共有し、共感し、ヘレンとヘレンを取り巻く周囲の人との関わりに対して尊敬し、自分自身の知識と能力の至らなさに自責の念を覚えました。

 

それでも、50歳でこの本を読むきっかけが与えられたことには感謝しています。

 

半年前からブログとTwitterなども始めたとお伝えしましたが、私自身は1対1の関係を好む傾向にあるため、あまりsnsは上手く利用することはできていません。交流のある方々が発信してくださる言葉を見たり読ませていただくことで、此処にいながら少し豊かな世界に触れさせてもらっているという感じです。

 

先日、とあるきっかけで詩人である茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という、もうすっかりと忘れていた詩が頭をよぎったのですが、「自分の感受性くらい」という詩には、”ばかものよ”という言葉が出てきます。

はい、本当に私は「ばかものよ」でした。

 

きっと、視覚障害をお持ちの方は音声や匂い、触れるなどしてコミュニケーションをとっているのでしょうかね。私は五体満足であるのに、なんという怠惰な人間なのだと反省しました。

 

私個人としては、人々に”枠”を付けて分かつことは好きではありません。

〇〇な性質、〇〇な”生まれつきのたち”特性、特徴であるだけで、その人はその人です。

私自身も、特段何も区別されるものは持合わせていないと思いますし「私は私です。」というだけだと思っていて、今後もそうして生きていきたいと思っています。

 

もし、なにかの障害に対して差別、偏見の目で見る人がいるとすれば、

 

それはひょっとしたら、「お互いにそれぞれその障害を”理解することができないという障害”があるといえるのではないか?」そして、「それはすべての人が障害を持っているということになり、結局それはすべての人間に障害は無いに等しいとうことになるのではないか」と私は思いました。

 

もちろんそれぞれの関わり方、対処方法は異なりますが、人はみな平等だという事実を心の片隅に留めておかなければならないと思います。

 

 

最後に、私が見たサイトをご紹介します。ヘレンが学んだと言われる指文字も紹介されていますので是非ご覧ください。

www.nhk.or.jp

 

 

STAY HOME週間ということで、今回はまるで夏休みの読書感想文か自由研究のように自分に課題を出してヘレン・ケラーの「わたしの生涯」を読み始めたのですが、まだ読み終えていません。それでも、もしかしたら今日お伝えしたことだけでも共感してくださる方がいるのではないかと思い、途中でしたが記事にしました。きっとこの後もどんなに素晴らしい森羅万象や人生の機微の表現が出てくるのだろうと思うと楽しみです。

 

是非、時を経てヘレン・ケラーの豊かな世界を感じてほしいと願っています。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。 

お題「#おうち時間